ロッジやまぼうし厳選中野市観光

中山晋平記念館 中野市大字新野76番地             0269-22-7050

温泉イメージ

 日本で大ヒットした「カチューシャの唄」を始め、「ゴンドラの
唄」や「シャボン玉」「背くらべ」「東京音頭」「須坂こうた」などの流行歌、童謡、新民謡まで、幅広いジャンルの作曲を手掛けた中山晋平の記念館です。
 晋平が生涯作曲したのは、約3000曲と言われています。
 300点にも及ぶ晋平ゆかりの品々や楽譜、愛用していたグランドピアノやオルガンなどが展示されています。

 詳しくは、こちらをクリックしてください。

日本土人形資料館 中野市中野1150(東山公園内)        0269-26-0730

館内施設イメージ

 京都伏見と愛知三河の流れをくむ二つの技法が今なお受け継がれている中野の土人形。
 「日本土人形資料館」では、人形づくりの伝統技法を伝えるとともに、中野土人形をはじめ、全国の土人形約2000点を収蔵、展示しています。また、土人形の絵付け体験も開催。素焼きの土人形にネオカラーで彩色し、世界でたったひとつのあなただけの土人形ができます。 小犬、うさぎ、招き猫など、30分程度300円くらいから挑戦できて気軽です。可憐で愛らしく、潤いと安らぎを与えてくれる土人形の世界を、じっくりご堪能ください。

                      詳しくは、こちらをクリックしてください。


土人形土人形土人形

一本木公園  中野市一本木495-6               0269-23-4780


 

 

 

 

 

 

 別名【バラ公園】とも呼ばれるこの公園は、何万人もの観光客が訪れる人気のスポットです。この公園に咲く花は、昭和59年に須坂市の故黒岩喜久雄さんから
179株のバラ苗を寄贈されたのが始まりだそうです。
 毎年、5月下旬から6月にかけて開催されるなかのバラまつりに多くのバラ愛好家が訪れ、赤・白・黄色の色鮮やかなバラが咲き誇り、今では850種2500本
のバラを「一般社団法人一本木公園バラの会」の方々が、丹精込めて手入れをしています。
 2015年の5月17日に行ってきましたが、早咲きのバラが咲き始めたところでした。公園全体のバラが咲き誇った風景は、圧巻だと思います。

 駐車場はありますが、バラまつりのときは、とめられないので、長野電鉄で中野松川駅から徒歩7分で行けます。道路の植え込みもバラの花の生け垣になっていますので、ぜひスノーモンキーやゆけむり号に乗って見に来てください。その時は、
ぜひバラまつり切符を利用するといいと思います。

詳しくは、ここをクリックして、信州なかのバラまつりホームページをご覧ください。

中野小学校旧校舎・信州中野銅石版画ミュージアム(一本木公園内)

 復元された校舎内部は、民俗資料の展示、教育関係の資料室、移転復元以前の教室をそのまま残した「教室」が設けられ、1985(昭和60)年には、市の有形文化財に指定されました。
 そして1997(平成9)年に中野小学校旧校舎・信州中野銅石版画ミュージアムとして整備活用がはかられ、現在に至っています。
 中野小学校旧西校舎の前庭には、中野中学校校歌碑とそのメロディーが流れる施設があり、他に菊池一雄作の2体のブロンズ像と移築復元を記念した記念碑が建てられ、訪れる人々を、時代を超え、遙かな記憶、浪漫へといざなっています。
 また移築復元を記念した石碑には、次のような文が刻まれています。
「高社山を背景に建てられた新校舎は、雪深い奥信濃の風土にふさわしく、壮大であったという。以来、幾万の子供達を育み、多くの人材を輩出し、地域社会の文化の発展と、産業の振興に貢献してきた。今も、明治中期の洋風建築を代表する責重な建物として、地域のひとびとの心のよりどころとなっている。」
 銅石版画は赤川勲氏から寄贈を受けたもので、平山郁夫や森田曠平など数々の著名画家の作品を展示しています。彫刻家菊地一雄の作品も展示しています。
(中野市ホームページより)

 

 

 

 





中野陣屋・県庁記念館

中野陣屋・県庁記念館

 県道358号線から少し入ったところに中野県庁跡があります。
この建物は、昭和11年に中野町役場庁舎として建てられたものであり、昭和39年にこの地が県史跡に指定されました。
 陣屋がここにおかれたのは、織田信長死後の上杉陣屋を初めとすると伝えられています。
 幕府領中野陣屋(代官などの支配地における役宅や屋敷)は、享保7年(1722年)までに高井郡の幕府領陣屋を統合し、五万石余りの天領を支配する信州随一の陣屋となったが、慶応三年(1867年)
に中野陣屋は廃止された。
 明治3年(1870年)9月に伊那県から中野県が分県したが、12月に発生した中野騒動で中野県庁は消失し、明治4年には中野県を長野県と改称することが布告され、善光寺町(現長野市)に移転することが決定し、中野県としては、わずか11か月の命だった。
 現在は、常設展示やコミュニティーホール・カフェ陣屋等があり、市民の交流の場となっている。